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朝霞市行方不明事件に酷似?オーストラリア少女誘拐事件とは

オースオラリア少女誘拐事件

埼玉県朝霞市で連れ去られた当時中学1年生の少女が無事に保護されました。

少女を2年間に渡って監禁し続けてきたのは、東京都中野区に在住する寺内容疑者(23)です。

しかしこの事件は当初、監禁の様子に対して懐疑的な声が多く、一時は「少女が自らの意志で逃げなかったのでは?」との様に取れる意見も各メディアから聞こえてきた程です。

そこで、今回は少女が監禁された状況について詳しくひも解くと共に、この事件と非常に似たある誘拐事件との共通点をご紹介したいと思います。

 

監禁されていた少女の状況

中学1年生の際に監禁されていた少女の生活は、現在解っている限り以下の通りとなります。

  • 部屋の鍵を改造した状態でアパートの室内に閉じ込められる。
  • 「お前は必要の無い子だ」と繰り返し発言し少女に脱出の希望を失わせる
  • 少女に「私はいらない子」といった文章をノートに書かせる
  • 監禁後は家事などをさせる
  • 時には少女に外出させ、買い物をさせる

これらの状況を考えると、たしかに一般的には脱出が可能という意見が出ても不思議ではありません。監禁されていたアパートには近隣住民も多く、大学に通っていた容疑者は家を空けることも多かったと考えられるため、脱出のチャンスは多くあったでしょう。

しかし、少女は脱出することなく2年間過ごし続けていました。

この謎を解くカギは、実は海外で発生したある有名な誘拐事件に隠されていたのです。

 

オーストリア少女誘拐事件

オーストラリア少女誘拐事件とは、1998年3月1日オーストリアで発生した少女誘拐事件です。

誘拐された少女、ナターシャ・ガンプシュ(当時10歳)は、学校に向かう予定だったその日の朝から行方が分からなくなり、その後8年間に渡って監禁生活を強いられてきました。

この事件の犯人は元エンジニアのポルフガング・プリクロピル。彼は自宅で仕事用として所有していた白いマイクロバスを使って、登校中のナターシャを誘拐。そのまま自宅に連れて帰り、地下室に監禁したのです。

地下室に監禁したのち、ナターシャンは6ッカ月間に渡ってその部屋に閉じ込められました。

 

「お前はナターシャではない」

地下室にナターシャを監禁し続けたポルフガングは、その後地上での生活を許すようになりますが、そこまでの間に完璧な精神的支配を行い続けていったと言います。

ポルフガングは少女に対して「お前の家族は身代金の支払いを拒否した」「厄介ばらいできて喜んでいる」といったことを常に告げていました。

さらに時には暴力を振るうなどして暴行を行いながら、絶対的な服従を彼女に求めていたのです。

 

誘拐犯の奴隷

精神的支配が終わったと判断したポルフガングは、少女を地下室から出したのち、家の家事などをさせはじめました。

しかし、歩くときは自分の1メートル後ろを必ず歩かせ、何かあれば暴力を振い、絶対的な服従を求めました。

さらに驚くべきことに、誘拐されたナターシャは孤独感のせいか、誘拐犯におやすみのキスをしたり、愛情表現を示すようになったと言います。

それから数年がたち、少女が18歳になると、ついにナターシャはポルフガングと共に外出を許されるようになりました。

外出時はつねにポルフガングの隣をあるかされ「少しでも動いたら撃つ」と脅迫。家に帰ると水をためた流し台の中に頭を押し込み、気を失いそうになるまで首をしめたといいます。

 

脱出を諦めなかった少女

この様な過酷な生活を強いられていた少女でしたが、決して心の底から脱出を諦めてはいませんでした。

当初の頃は、ペットボトルを塀にぶつけるなどして脱出を試みたそうですが、それで脱出が不可能だと悟った彼女は、それから知識を蓄えるため、犯人の自宅にある新聞やラジオなどから自ら勉強しはじめたと言います。

しかし、それとは裏腹に彼女の行動はつねに犯人に従順で、時には愛情表現を示していました。この現象はのちにストックホルム症候群と呼ばれましたが、自叙伝をかいたナターシャは次のように反論しています。

「被害者に、ストックホルム症候群という病名を付けることには反対する。これは病気ではなく、特殊な状況に陥った時の合理的な判断に由来する状態である。自分を誘拐した犯人の主張に、自分を適合させるのは、むしろ当然である。共感やコミュニケーションを行って、犯罪行為に正当性を見い出そうとするのは、病気ではなく、生き残るための当然の戦略である」

 

少女の脱出、犯人の自殺

少女がようやくこの家を脱出できたのは2006年8月23日。

その頃になると、プリクロピルは完全に油断しており、ナターシャは庭に出て車の掃除をすることまで許されていました。

そして午後12時53分、庭にいたプリクロピルは携帯電話が鳴ったため家の中に戻りました。この一瞬の隙をつき、ナターシャはそのまま走りだし、家の外へ出て行ったのです。

 

それからフェンスを跳び越え、通行人に警察に電話するよう頼んだものの、自分が誘拐された少女であることを信じてもらえず、約五分間の間道を駆け抜け、ある家の窓を叩き、その家に住む老婆に事情を説明し、警察に無事連絡することが出来たのです。

その後、犯人は警察が自宅に来るまでの間に逃走。列車に飛び込み自殺しました。

 

朝霞市少女誘拐事件とあまりにも酷似した状況

上記の事件の概要を読んでもらえれば、至る所で寺内容疑者の犯行との類似点が見いだせるでしょう。特に少女を監禁した後の精神的支配や、監禁の度合いを次第に下げていく様子は、まるでこの事件を参考にしていたかの様です。

また、逮捕されたあとに自殺を図った様子も似ています。この点も、この事件から寺内容疑者が受けた影響の強さの表れなのかもしれません。

 

寺内容疑者はオーストリア少女監禁事件を模倣したのか?

犯行の手口の類似性を見ると、寺内容疑者がこの事件を参考していた可能性は十分にあります。

また、のちの報道で寺内容疑者がインターネットやマニュアルを参考に事件の計画を立案している様子があることからも、その可能性は否定できません。

いずれにせよ、犯人はつねに過去の犯罪から学び、自らの犯罪を進化させようとするものです。いずれこの事件を見た誰かが、同様の監禁事件を起こさないことを祈るばかりです。

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