実在した伝説の名探偵、岩井三郎から学ぶ大正時代の浮気調査 その3

日本における伝説の探偵、岩井三郎。彼が唯一残した探偵の記録を紐解き、かつての探偵の姿と、当時の人々の模様につて詳しくご紹介させて頂きます。

琵琶湖の舟遊び

翌朝、再び張り込みを開始すると、朝昼をかねた食事をすまし、三時頃に男のほうが車で出てきた。砂上の姿を見たところ、どうも堅気のものと思われず、芸人に違いないと睨んだ。それから5分ほど間を置いて、今度は女が宿を出発。しかし、その後の行動は非常に興味深い。

二人は嵯峨駅で汽車を待つものらしく、男は一二等級待合室に納まり、女は駅の前に立って人目をさけるようにして居るのだた。そこへ上りの汽車がついたので、男女はプラットフォームの方に急いで行ったが、言葉一つ交わすまでもなく、男は前の車、女はその次の車に乗り込んだ。その用心深いことに驚くばかりである

これは、現在の探偵業界でいうところの『警戒行動」と言われるものに当たります。

さらに、時代を経た現代でも、列車ではなく電車に乗る際にあえて別の車両に乗り込み、その先で合流するという方法を取る不倫カップルがいるのです。まさか、この方法が古くは戦前から続いていたとは思いもよりませんでした。

さらにその後、男女は偽名を使って夫婦を装い、旅館に泊まり込んでビールを飲む様子が描かれていますが、こうした不倫カップルは現在も少なくありません。

 

釣り船での写真

実はここまでの間、探偵岩井三郎には非情に心配していることがありました。

それは、証拠となる写真撮影が一切行えてない点です。これまでの男女の行動を振り返ってみると、いずれも密会の場となったのは料亭や旅館の中。出入りも別々で、偽名も使われているため、二人のツーショットとなる証拠写真が無ければ裁判では勝てません。

しかし、当時の写真機というのはかなり大型で、なおかつ繊細なものでした。夜間の撮影はまず困難であり、それを旅館内で使用することはまず不可能です。

ただ、その後張り込みを続けると、男女は借り船を出して釣りに出る姿を確認、これはチャンスだと一気に撮影に臨みます。

それと見た探偵長は部下と二人で、普通の客のように見せかけながら、矢張り釣り竿を借りて船を出した。次第次第に男女の方へ接近すると、かねて用意していた写真機を取り出して、彼らが夫婦気取りで互いに体をもたれあいながら糸を垂れているところを、前から後ろからと一枚づつ移した

今でこそ当たり前のようにカメラが一般家庭に出回っていましたが、当時のカメラは非情に高価なものでした。岩井三郎探偵事務所が設立されたのは1895年(明治28年)、それからこの書籍が刊行される大正の間には、まだ日本の一般家庭にはカメラは普及しはじめた最初の時代で、その殆どが海外からの輸入品。価格は公務員一年分の年収とも言われており、今でいう数百万円もの高額商品だったのです。

今の探偵はビデオカメラに一眼レフデジタルカメラ、さらには暗視カメラといった特殊機材を使用できますが、当時はフィルム一枚使うのにも技術も勇気も必要ですから、

 

妾が別の子を妊娠

不倫調査が終わると、やはり現在と同じ、岩井三郎も浮気相手の素性を調べるための尾行を行いました。その結果、相手は俳優としても名の知られる若手の売り出しであることが判明。さらに数日後、その男から妾あてに届いた手紙には「お腹の子を大事にするように」と、自分の子供であることを記す文章が見つかります。

これにより、佐々木は妾を作っていたばかりでなく、さらにその妾に浮気をされいた事実が発覚。これをしった依頼者の夫人は、夫に妾と別れさせるためどのように切り出すべきか、探偵・岩井三郎に尋ねました。

「いかにも、うかつには切り出してはいけません。これは貴方が直接おっしゃるよりも、だれかご主人の尊敬しておられる方に事情を打ち明け、その方がひそかに心配して探偵に以来し取り調べたという風にしたらどうです」

この通り、婦人は主人の先輩に頼み実行し、結果佐々木は妾と別れ、その後は夫婦仲良く暮らしたと記されています。

 

伝説の岩井三郎の調査の凄さ

伝説の名探偵、岩井三郎も現代と同じように浮気調査をしていたことが分かります。

また、その調査の手法も実際には現代と大きく変わっていないこと、さらに探偵社のシステムも大きく変化していないことが分かりました。

しかし、やはり現代とはその調査の難しさは比では無かったでしょう。当時は車もないので立張が基本とっており、変装も今よりも大変手の込んだものとなっていたはずです。

また、証拠を取るためには機材が必要となりますが、当時は現代のように充実した機材はありません。その中で調査を行う難しさはとても難しかったでしょう。

 

岩井三郎の優れた調査術

本書の中で最も特徴的だったのが、岩井三郎が決して尾行をつめよらず、見失うぎりぎりのラインで追い続けていた点です。

尾行というのは、ただあいての後ろを付いていけば良いというものではありません。それだけなら、まず警戒心の高い相手の尾行は成功できません。しかし、距離を離しすぎれば失尾する可能性が高いので、調査の状況によってその距離を保ち続けなければなりません。

 

この話の中で登場する探偵達の尾行は非常に優れています。まず第一に、京との宿に入った妾と浮気相手の男が別々に宿を出ています。その日に宿泊している客が他に居ないことを確認していなければ、まずこの方法を取られたら浮気相手が何者なのか確認できません。または、前日に確認した背格好を頼りに見つけ出したのか、かなりギリギリの判断だったでしょう。

 

また、尾行は2人一組で行っており、対象者が二手に分かれても見事に対応しています。

その後、大津駅まで二人は激しい警戒行動を示していますが、その警戒も交わしながら岩井三郎を含む探偵達は見事尾行を付け切っています。

そして、この物語では一見地味ながら、大津駅から男女が車に乗る所を見事見送った判断力。そして、帰ってきた車に行き先を聞いてから尾行を開始する機転です。

普通の探偵なら、相手が警戒していたとしても、そのまま車の後を同じく車で尾行していたでしょう。しかし、岩井三郎は相手の警戒心の高さを見て、探偵がもっとも知りたい宿までの道中を捨て、帰ってきた車に行き先を尋ねる方法を取ったのです。

 

調査初日、妾が料亭に入るまでは車を使用したものの、なぜ大津駅から宿までは車を使用しなかったのか?

これは、恐らく相手の警戒心の高さから、宿までの道中に何者かに見られないかと警戒心を高めていると判断したからでしょう。野生の動物も、自分が巣に入るまでの瞬間に最も警戒心を高めると言いますから、この判断が無ければ調査は失敗していたかもしれません。

しかし、もしも車が宿に向かわなかったり、車の運転手が情報を漏らさなかったら、この調査はあえなく失敗……一見地味な浮気調査の様に見えますが、警戒心の高い対象者を相手に、非情に際どい判断によって勝ち得た岩井三郎氏の勝利です。

 

まとめ

伝説の探偵、岩井三郎の調査の記録は、まだ幾つかの書物の中に埋もれているものと考えます。

こうしてかつて実在した名探偵の調査からは、探偵についての多くのことを知ることが出来ますので、また次回もご紹介したいと思います。