世の中に溢れる不倫肯定派の方々を見ていくと、その殆どが社会的立場が高く、金銭的にも余裕のあるいわゆる「富裕層」と呼ばれる人たちであることが多いです。
たしかに、富裕層だからこそ不倫をする余裕がありますし、多くの異性と関係を持つことをステイタスと感じる人も多い世界。それだけに、不倫肯定論を唱える人が多いのも納得でしょう。
しかし、彼らが不倫肯定論を唱えることにより、不倫否定派には次のようなデメリットが生じてしまうのです。
男尊女卑、もしくは貧富の協調
先ほど記述の中で、不倫肯定派の事を“彼”と形容しましたが、それは不倫肯定派が富裕層の、しかも男性にとても多いことが上げられます。
もちろん、富裕層である女性も不倫のチャンスは多くあるのですが、なぜか富裕層の男性が不倫をするのと女性が不倫するのとでは社会の反応も大きく異なり、女性の方が圧倒的に非を訴えられてしまうのです。
つまり、不倫肯定派は「富裕層」の「男性」に多いということなんです。
それえでは一体、彼らがどんな不倫肯定論を唱えているのか例を挙げてみましょう。
「不倫をしない人間に面白いやつはいない」
「トップとなる人間は必ず不倫をする」
「浮気は男の甲斐性」
さて、これらの論を見てみれば、そこにはある共通の思想があることが浮かび上がってきます。
それは「浮気や不倫は力のある男性の証である」という、男性優位の強烈な自己主張。もしくは、「浮気をできるバイタリティがある人間は優れている」という共通の思想です。
つまり、強い男性は多くの女性をはべらす「ハーレム」を形成できることが条件であるという、原始時代から続く動物的な本能が彼らは人一倍強いということです。
さて、こんな浮気肯定論なんて一瞬で蹴散らせると思っている女性の方は多いはず。
しかし、そんな女性の浮気否定論を見ていくと、じつは大変理論的では無くなっている事が多いのです。
女性の不倫否定論は感情的すぎる
不倫否定派の多くは女性であることが多いのは、おそらく男性が根っからの浮気性だからかもしれません。
しかし、浮気否定派の女性の意見を見てみると、以下のような意見が大変多い事に気が付きます。
「不倫は道徳的ではないからダメ」
「被害者がいる限り浮気は良くない」
「不倫をして傷つく人が要る」
「不倫によって得をする人間はいない」
「相手の家庭を崩壊させていまう」
そう、これらの意見のほとんどは共感や同情、もしくは罪悪感を呼び起こすものばかりで、実は「なぜ不倫は良くないのか?」という問いにたいして、明確な答えを出していないのです。
当サイトでも、不倫にたいする注意喚起をいくつか行ってきましたが、その中にも読者の方々の共感や同情心に訴えかけるものが殆どでした。
しかし、これは本当に浮気が悪いという人を思いとどまらせるだけのもの。
先ほどの不倫行程派の様に、そもそも価値基準が道徳や社会規範とはまったくズレてしまっている人にはまるで通用しません。
しかし、不倫否定派の人たちは、いざ不倫肯定派を目の前にした時にこのような意見を述べることはできても、相手に結局言いくるめられる事が多いです。特に男性の不倫否定派はなおのこと言いくるめられてしまうでしょう。
浮気者=強者である?
浮気をする人間の浮気論に屈する人が多いのは、結局の処、誰もが心のどこかで「多くの異性と関係を持てる=ハーレムを作れる=優れた個体(人間である)」という思いがあるからだと考えられます。
つまり、社会的な強者の理論である「不倫肯定論」に対抗しようと、不倫否定派が論を展開しようとしても、すでに見下ろされた位置から議論がスタートしてしまっているということ。不倫肯定派は結局「弱い人間だから不倫ができない」とあたまごなしに来るので、不倫否定派はどうしても共感や同情心に訴えるしかなくなるのです。
こうした状態である以上、不倫否定派が多数集って集団の意見として、不倫肯定派を糾弾するか、社会的規範やルールを持ち出して、相手に罪悪感を植え付けるしかありません。
また、不倫肯定派が社会的立場の高い人間に多いというのも問題でしょう。
彼らが不倫を認めている以上、「不倫=ステイタス」という考え方が消えることはありませんし、結果的に被害者となる配偶者にしても、結局は社会的立場の高い夫のいいなりになるしかありませんし、ハーレムに参加する女性(不倫相手)にしても、結局は社会的地位の高さや異性へのバイタリティの高さを魅力と感じているため「不倫ができる=社会的強者」という理論を形成する一旦を担っているのです。
不倫否定派は弱者の理論か
以上のことを踏まえて言わせてもらえば、不倫否定派ははっきりと言って弱者の理論です。
しかし、それでも私は不倫否定論を支持します。
その理由は、結局は人に道徳心をもって行動してもらいたいという願望、または不倫や浮気による無駄な争いが無くなって欲しいという理想からきています。
そのためには、人々はより理論的に不倫肯定派に対して反論をし、足元をすくわれるような感情論を展開しない必要があるでしょう。
これはとても簡単には出来ないことであり、私自身も未だに研究途中です。
また、多くの人々が「一夫一妻性がある限り不倫はなくならない」と考えており、こと不倫問題になると、安易に一夫一妻制を問題視する意見が出て来て「そもそも一夫多妻、もしくは乱婚状態にすれば、不倫が不倫じゃなくなる」という論が男性の中に根強くあるのも、一夫一妻制度を支持し、不貞行為を容認する結果を生んでいます。
こうした男女の倫理観は、自由恋愛主義のもとに乱れ、宗教や規律によって正されてきた歴史もあり、現代的な恋愛=不倫という構図があったのも事実。
しかし、不倫に関する人々が持つ考え方は次第に大きく変わりつつあり、恋愛や結婚にかんする観念も変化し続けており、その流れは不倫の撲滅は不可能でも、不倫の増加には歯止めを掛けている様に感じます。
まとめ
そして、今や男女の倫理観は道徳やルールではなく、理論によってのみ人々に受け入れられるという実情を理解して欲しいということ。
この問題についての調査、研究は今後も続けていきたいと思いますが、あくまでニュートラルな姿勢で問題に接していくつもりです。
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