結婚とは、一人の男性と一人の女性が一生の伴侶となり、病める時も健やかなる時も互いを助け合い生きていくことでしょう。
これを現代風に、なおかつ少しシニカルに語るとすれば、それは間違いなく「契約」に違いありません。昔は「契り」もしくは「誓い」という言葉で語っていましたが、資本主義の台頭と経済的困窮によりリアリズムを重視した思想が台頭している現代では、結婚を契約と感じる人間も少なくないでしょう。
では、結婚を契約とした場合、その契約を守ることが簡単ではないことは誰にでも解る事実です。
むろん、結婚する当人達にはそんな喜雨など存在しません。
お互いが好きだからこそ結婚するのですし、結婚によって生活が安定することも間違いありません。
ただ、その契約は前述のとおり「一生に渡って同じ人間を愛し続けること」という大変重要な項目が盛り込まれています。つまり、ただの恋愛のように出会いがあり別れがあるものではなく、その別れとは「死が二人を分かつまで」ということになります。
ですが、探偵としての活動を通して知ったのは、この世界で結婚した当人同士を分かつのは死ではなく、お互いの気持ちが離れてしまうことの方が多いという現実です。
つまり、理想的には生涯にわたり一人の人間を愛し続けることが求められていても、その様に行かないことのほうが多く、さらにはそこに「新たな恋人」ができてしまうことにより、浮気問題に発展することが非常に多いのです。
となれば、本当に安定した結婚生活を求める人間からすれば、その「浮気心」をどうにかしたいと思うはずです。
そこで、今回は結婚した人間が浮気をおこさないために、自ら恋心を抑えるための方法についてご紹介させて頂きます。
恋心は消えないものと知るべき
人間が自らの感情を完璧にコントロールすることは不可能です。
この事実を知らぬまま「自分は絶対に好きじゃない」と思い込んでも無駄です。
むしろ、自分の精神活動を否定することによって、より感情が増幅してしまう恐れがあるので、まずは自らの恋心を否定したい所からはじめましょう。
しかし、そのまま否定せずにいれば浮気をするのは必至。
そこで自らの感情を認めた上で、今度はその感情の活動度合を制限する必要があります。
罪悪感を覚える
自分がいま抱いている恋心によって、この世で最も傷つけたくない人間が傷ついてしまうのは、浮気を否定すべき最大の要因です。
そのため、もしも自身の恋心に気が付いてしまったら、即座にパートナーの顔を思い出すようにしましょう。特に良いのは、パートナーとの楽しかった思い出や、笑顔、そして自分のためにしてくれた様々な良き行いです。
そんなパートナーの愛おしく献身的な姿をきちんと思い出せたら、今度は再び自分の濃い心を確認してみましょう。すると、いままでキラキラとして輝いていたはずの恋愛感情がとても危険なものだと気が付いてくるはずです。
そう、この世の中で最も危険なのは、純粋で迷いのない気持ちです。
例えばテロリストが市民を攻撃するとき、そこには一体何がありますか?人々を貶めようとする気持ちですか?それとも、市民を攻撃したいサディスティックな欲求ですか?
いいえ、そんな邪で不純な感情では、テロリストは活動しません。あそこまで非人道的な行いができてしまうのは、彼らが自らの信念になんの疑いもなく、純粋な「正義」を感じてしまっているからです。
だからこそ、そのための犠牲を厭うことはありませんし、場合によっては自らの命すら投げ出してしまいます。
そして、これは浮気心も同じ。
その恋愛にもしも殉じてしまえば、恋を成就させるための犠牲を厭わなくなり、夫や子供に対して多大なダメージを与えることにすら無頓着になるでしょう。
そんな自分を想像してみてください。
どうですか?
その姿は、まるで恋愛成就を願うテロリストの様ではありませんか?
もしも、恋愛ごときで人は死なないと思っているなら、その考えは今すぐ正した方が良いでしょう。あなたが愛している人間は、本当は強くなんてありません。また、もしもパートナーが貴方を本当に愛していたなら、裏切られたことで絶望し、最悪の場合、誰かの命が失われることも十分にあり得るのです。
必要なのは「誰を愛するのか」という選択
自らの濃い心に罪悪感をきちんと抱くことが出来たら、最後に自らの意志で、自分が一体だれを愛するべきなのか理性を働かせましょう。
なぜなら、長い結婚生活のすえ、どうしても夫婦が互いに恋愛感情を持つことはできませんし、それほど強烈な感情をパートナーに抱くことは、今後一切無いと思っても間違いありません。
そんな肉体の反応に抗うための最後の武器となるのが、あなたの理性です。
冷静に考えましょう。
貴方が愛しているのは誰ですか?それを、きちんと言葉に出して説明できる相手は誰でしょうか?
理性的に愛せる相手というのは、人生においてそう多く居るものではありません。
なぜなら、理性的な愛とは、どれだけ多くの時間をすごし、どれだけ多くの理解をし、自分が相手に対して感じた愛の記憶が沢山ある相手。そんな相手は、誰だって自分の家族しかいません。
本能的な愛など、結局は理性的な愛にはかなうことはありません。
体で感じる愛など、結局は一時的なものですし、だれだって覚めるものです。
しかし、もはや理性ですら語れる愛というのは、生涯消えることはありません。
そんな大切なものを、一時の本能によって消そうとすることは、だれだって嫌なはず。
そう思えば、次第に誰もが「本物の愛」についてたどり着け、浮気がいかに無益で無駄なものなのか理解できるはずです。
とにかく自分に正直になる
浮気心は確かに自分の正直な気持ちですが、それを自分の「本心」だと言ってしまう人は、あくまで自分の表面をなぞった程度でしか自分を見つめていません。
もしも本当の自分の気持ちを知りたければ、恋愛という脳の一時的な興奮よりもさらに深い自分を探らなくてはなりません。
そうすれば、だれもが本当に愛している人間を見つけることが出来るはず。
また、そうした経験を通して自分の愛を再確認できれば、夫婦仲もより深まるはず。
ピンチはチャンスとは良く言ったもの。ぜひとも浮気の危機も夫婦の絆を深める絶好の機会に変えてあげましょう。
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